2016年1月12日火曜日

趣味はランニングと答えるリア充な大人の考察


私が新卒で就活をしていたとき、外資系の大手企業の説明会に行き、社員紹介を聞いたりすると、決まって爽やかそうなお姉さんやお兄さんが出てきて、こう言われた。

「私の趣味はランニング(ジョギング)です。」

正直、当時の私には理解できなかった。ただダラダラ走って疲れるだけのことがなんで好きなんだ?と思っていた。

そうすると、理由としてたいてい以下のようなコメントが付け加えられる。


「自分がどこまでできるのか、限界に挑戦するのが好きなので」
「自分の成長を感じることができるスポーツなので」


ますます意味がわからなかった。なんで自分を痛めつけることが好きなのか?外資系でリア充になるには、マゾにならなければならないのかと感じて、本能的に恐怖を感じてめげそうになった記憶がある。若かりし10年ほど前のことだ。

ところが、月日は流れてそんな私も、ひょんなことから学生の前で講演する機会があって、自己紹介でこう述べていたのである。


「趣味はジョギングです。。。」




***



これは一体どういう心境の変化が起きたのか。解説する。

あくまで私個人の意見だが、いまだから、それを言う立場になって分かったことがある。

はっきりと申し上げよう。ランニングやジョギングをする理由は『自分の成長』とか『限界の挑戦』とか歯が浮いたような理由ではなく、



走って運動でもしてないと、どんどんおとろえていく自分の体を元気に保てないからだ。



もちろんそうではなく、純粋なマゾのツワモノもいるだろう。でも、みんながみんなそういうわけではない。はっきり言って少数派だと思う。

モノは言い様。

『自分の成長』とか『限界の挑戦』なんて、本気にしてはいけない、極端にいえばダマされているのだ。

人間は強くなりたい(成長したい)と思う一方で、楽をしたいと考える生き物だ。社会人になったからって、楽をしてはいけないわけではない。両面があるのだ。

もし就活中に、成長成長と全面に押し出してくるリア充に怯えている読者がいたら、怖がる必要はない。

それはそういった読者が経験上まだ理解していない以下の前提を逆手に取った所業だからだ。

それは:


25歳を過ぎるとびっくりするほど太る


なにを言っちゃっているのかと思う人もいるだろうが、実は、私も若いころはいくら食べても太らない体質だった。代謝も良く、やせていた。だが、25歳を超えると、食べる量は変わらないのに、腹回りからぶくぶく太ってくる。自分だけは関係ないと思っていた肥満が、やってきた。

みんなも25歳きっかりかどうかは、もちろん問題ではない。歳を取るとは、大概代謝の力が下がってくるので同じ量の飯を食べてると太りやすくなる、そういうことなのだ。

また、日本での仕事はストレスが大きいし、25くらいから無茶な責任を負わされ始めるという精神的な追い込みもある。そういうダブルパンチ。

という精神的な問題は置いておいて、ではなんで、基礎代謝が一気に下がってしまうのか?

見逃しがちなのが、学生の間はなんだかんだで週に数回、体育の授業という形で1時間ずつぐらいの運動をさせられている、ということだ。自転車通学や部活などしていればなおさらである。実は、そんな少しのことが、大きな差を生み出していると思う。

おかけでちゃんとエネルギーを消費するチャンスもあるし、定期的な運動で基礎代謝も上げられているのだ。

長年かけて培ったこの基礎代謝は、そんなにすぐには落ちない。しかし、その効果が切れるのが、先に述べた25歳くらいなのである。


実は、この大事なことに私は就活のとき気付いていなかった。

高校まではだいたい学校にちゃんと行っていれば規則ただしい生活を維持できると思うが、大学は高校での締め付けや受験勉強などの反動で生活リズムがメチャメチャになってオールしたり徹夜したり夜更かしが当たり前になって睡眠状態が崩れる(私は高校のころから乱れ始めていたが)。それでも体育の授業はあるし、日中でも色々と遊びにいったり運動はするだろう。

それが社会人でオフィスワークとかになってしまうと、大学のころの睡眠リズムはぐちゃぐちゃで無理する習慣は残ったまま、日中会社でじっとしている時間が増えて、体育の授業もなくなったなんて喜んでいると、一切の運動はしなくなるのだ。残業が多ければ多いほど終業後の運動も減っていく。

よく考えれば、ひどい話だ。

せっかく高校や大学までで染み付いた、日中に運動をするというリズムが、見事に破壊されるているのである。これには、あとから非常に後悔した。授業の成績やテストの点数、というより「授業の内容そのもの」ばかり気になっていて、そもそも「定期的に授業が存在している」というリズム、実はその重要さを理解していなかったな、と思ったのである。定期的に体育の時間があること、リズムそのものに意味があるのだ。

話はそれるが、体育の内容そのものでも「今は必要じゃないけど、続けておくと後で効いてくるぞ」という類のものが、実はたくさんあったということも気づいた。

たとえば、私は体育の準備運動がなんで必要かもわかっていなかった。はっきり言って若いころは、運動能力には自信もあったし、準備運動なんてしてもしなくても、たいして影響はなかった。

でも、25歳を超えると、準備運動しなければ、体が動かなくなってくる。おそらく準備運動を厳しくやらせる先生というのは、若いうちに準備運動をするクセをつけておき、みんなが大人になったときにそれが役立つように教えているだけなのだ。本気で学生全員に準備運動が必要だと思っているわけではおそらくない。

それなら教師は、それは大人になったときのもんだと教えればいいだろうという見方もある。それもただしい。

まぁしかし、私はそういう風には教わらなかったために、そんなことはつゆも知らず学生時代は、体育自体も準備運動も「自分には不要なもの」と判断していた。

実際どちらも、やらないならやらなくても生きていけるし、25歳で腹回りがぶくぶく太ってきてもそのままにしている人だってなんと多いことか。

でも、私は自分の体が醜く老いていくのが許せなかったので、それを進行させないためにはどうすればいいか、そこで初めて考えて、結果「ジョギングをする」という、誰でもどこでも金をかけずにできる「ダラダラと運動して疲れる」ことをやり始めたのである。

よくいう運動の楽しみとか爽快感というよりは、私の場合は、これをやらないと衰えてしまうという恐怖感にかられた面が大きい。

そして、ジョギングをやるにつれ、あの時の外資系のお姉さまお兄さまのお言葉:
「自分がどこまでできるのか、限界に挑戦するのが好きなので」
「自分の成長を感じることができるスポーツなので」
の意味がだんだんとわかってきたのだ。

「自分の限界に挑戦」って、単純に「デブになって腹の周りについた脂肪をどこまで減らせるか」ってことだな。

「自分の成長を感じる」ってのも、単純に「老いてしまった自分の体を、いかに若いころの感覚に戻ってきたと喜ぶか」ってことだな。

なんだ、どこもリア充じゃないじゃないか。どMでもない。

とんだ勘違いだった、と。


だから、就活中にそういった運動をしていることをリア充風に言っているひとを見かけて、それに恐怖を感じたら、こう思うといい。



「あいつ会社入ってから急にデブったんだな



心をめげないための勝手で断定的な推測でした。でも、多分けっこう正しい。


以上
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